「家」を守るということ
ま、今回はひとり言ということで書きます。
今まで、
- 「家」を守る
とか
- 「家」を継ぐ
とか、
とにかく「家系」のありざまやそこに刻まれた歴史ってあまり興味ありませんでした。正直言って。
ですが、祖父が亡くなり、祖母も亡くなり、そういった「コト」を体験して、すこし意識が変わってきました。
それは実家のお墓参りに30年振りに行ったときの石碑を見てからです。
恥ずかしながら、お墓の手入れ等はすべて親戚に任せっぱなしにしておいて、
自分は流浪の旅よろしく日本全国を転々としていたのですが、
ご先祖様の石碑を見ても何が書いてあるかさっぱりわかりません。。。
「拓本」という手段があるそうですが、たとえ写し取ったとしても解読する知識と技量も自分にはない。
さらに実家でも同様。
片隅に置かれた長持。
その中には、古い地図とか、
書簡とか、
あやしい壷とか掛け軸とかが入っていました。
結局、こーゆーのって、「お宝鑑定団」にだしてもそれほどの価値があるものではないだろうし、
かといってそのまま処分するのも歴史資料的にはもったいない。
つまり、
- 先祖の歩んできた歴史を語り伝え、
- 資料を後世に残す
コトが、
- 「家」を守る
ことなんだなぁと。
ただ、自分には
- 先祖の歴史も良く知らないし、
- 資料をもらっても読み解き方も良くわからない。
つまり、
- 「家」を守るための、その術がない。
もっと端的に言うと
- 「家」を守る資格がない。
と、
感じました。
その「家」に歴史あり。
いままで、自分の「家」というものに
プライドも、誇りも、自信も、財産も、価値も、歴史も、重みも、
そして
- 責任も
感じていなかったのですが、
ちょっとばかり祖父母の残してくれた歴史を守ってあげようと思いました。
だけど、
だけど、
自分と同じような境遇で、「家系存続」に悩んでいる人って少子化の現実もあいまって多いと思うよ、ホント。
こんな点からも「憲法記念日」に「日本」の行く末を案じてみたりします。
« みなとみらい散策 | トップページ | ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭2008 東京国際フォーラム »
「ひとり言」カテゴリの記事
- さよならココログ。(2017.09.23)
- 笑福亭鶴瓶師匠が神対応だったお話 妊活 待ち受け画像(2017.01.11)
- 一年の抱負 2017(2017.01.01)
- 幸せになるということ。(2016.06.06)
- 仲間が増えるということ。(2016.05.23)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
おはようございます。
「家を継ぐ」「家を守る」ということは大変なことなのですね。
自分は次男で、父親も四男ということもあってご先祖様については何も伝わっておりません。昔唯一聞いていたのは先祖は美濃(現在の岐阜県の南)の出身とか。母方のほうは鹿児島の加世田ということではっきりしていますし、何度も訪れたことがありますが。
YASさんのご実家には資料が残っていたり、お墓に立派な石碑があるのはとても凄いことだと思います。
一番ご存知かと思いますが、現代はとても便利な時代でWebでかなりの部分まで調べることが出来ます。
写真の石碑や古地図を調べただけですぐにいろいろなことがわかると思いますよ。
是非ウィキぺディアに加筆したり、本にまとめてください。
投稿: AKI | 2008/05/03 06:22
>AKIさん
こんばんは!
ウィキペディアに加筆するというのは考えつきませんでした!
確かにWebはホント便利ですよね。先祖の名前で検索すると、史実として残っている記述に出会ったりして、とても感銘を受けるときがあります。
これをつなぎ合わせていくのがタイヘンな作業ですが、楽しみながら進めて行くことができればと思っていますー。
投稿: YAS | 2008/05/04 03:12
実はYASさんのおかげで自分のルーツが昨日明確になりました。
久しぶりに生まれた町のウィキペディアを視たら、1891年に岐阜県で設立された美濃開墾合資会社により先祖が入植したことが分かり姉妹都市にまでなっていることが分かりました。現在の美濃市になります。
小さいときに聞いていた話と正に符号したことになります。
その先は、もっと調べなければ分かりませんが、一つ楽しみが増えた気がします。
ありがとうございました。
投稿: AKI | 2008/05/04 05:59
>AKIさん
こんばんは!
そうなんですねー!
歴史がわかるのは新しい楽しみですよねー。
私も、夏にでももう一度実家に行って資料を改めてみてみようと思います!
投稿: YAS | 2008/05/04 23:09